厳しい制約条件から生まれた日本的管理会計

一般的に、ものごとには前提となる条件や状況があると思います。
ニューヨークでは(というよりも米国ではというべきか)モノの扱いが非常に雑で、だからこそ、モノを製造するときには相当のアローワンスが必要であると考えられているようです。その結果として、モノを頑丈に作ることが一般化しているといえるでしょう。例えば、街中でよく見かけるゴミ収集車ですが、まるで戦車のような頑丈さで、大きさもわが国の3倍くらいはあるのではないかという感じです。
ニューヨークで市内観光バスツアーに参加した際には、観光ポイントごとに、何もいわずに2人欠け、4人欠けと続き、最終的には17人がいなくなってしまったことがありました。また、ガイドが「30分後に集合ね」といった先から「じゃあ、1時間半後に集合ね」といって降りていく客がいたりしました。いずれもガイドがたいそう慌てていたのが印象的で、日本では味わえないであろう経験をしました。また、ニューヨーク市では、家庭内の言語が英語以外の家庭が48%を占めるそうです。このため、難しい言い回しなどは通じないことが多いです(そのくせ、スラングのような言葉も多く、悩みの種は尽きません)。ともあれ、このように意思の徹底が困難だからこそ、言葉の用法などのすべてが、単純に簡単にという方向に流れていくのかもしれません。
更にいえば、テイラーの科学的管理法が生まれた1900年前後の状況を考えますと、西欧からの移民が一段落し、東欧からの移民が一般化していった時期と重なります。現在は東欧人の多くもきれいな英語をしゃべりますが、当時は英語が通じないことが一般的だったでしょうから、こういう未熟練労働者を工場でいかに働かせるかが課題となり、そこに科学的管理法が発展していく素地の1つがあったともいえるでしょう。
この科学的管理法については、わが国でも比較的早く、1920年代には導入されていました。わが国では、科学的管理法が導入された当初から、QCサークル運動的な日本的色彩を帯びていたといわれておりますが、これなどは当時の工員構成(読み書きのできる同質的な集団であったことなど)がその背景にあったとも考えられます。

 長くなりました。それでは、本題に入ります。

トヨタ生産方式(TPS)や原価企画、京セラのアメーバ経営などのいわゆる日本的管理会計は、管理会計手法としてはとしても有名です。

管理会計の世界ではもちろん多数説は米国なのですが、日本の管理会計も少数有力説といってもいい、独自のポジションを持っています。管理会計手法という点からみれば、いわゆる日本的管理会計の存在などから、ヨーロッパよりも存在感があるように思われます(語弊があるかもしれませんが、ヨーロッパの管理会計は「考え込む管理会計」、日本は「工学的な管理会計」といえるのかもしれません)。
このような、いわゆる日本的管理会計にもこれらが生まれた前提条件があります。というのも、わが国は残念ながら天然資源に恵まれません。しかも、昔は産業の蓄積が薄かったので、これらの資源を調達する資金にも恵まれませんでした。資源調達のために必要となる資金、すなわち、資本調達が十分にできなかったという意味で、過小資本に悩まされていたといってもいいでしょう。これが、いわゆる日本的管理会計生成の前提となりました。

すなわち、いわゆる日本的管理会計は、過小資本という厳しい制約条件の下で生まれたといえるのです。

だからこそ、ムダなお金を使わないように、製品自体をコンパクトに、きゃしゃに創り込むだけでなく、プロセスの全工程を通して、いかにムダを省くかに全精力が傾けられてきたといえるでしょう。
更にいえば、QCサークルやアメーバ経営にみられるように、組織の現場々々に判断を委ね、皆で協力して効率化などに努めていくことに注力されてきたといえるのではないでしょうか。

ここでわが国の行政を見ると、膨大な債務残高、巨額の財政赤字が目立ちます。残念ながら、今後の長期にわたり、わが国財政は厳しい制約条件のもと運営されなければならないといえるでしょう。

いわゆる日本的管理会計が厳しい制約条件のもと生まれたことに思いを致せば、今後長期にわたり、厳しい制約条件の下にあり続けるわが国の行政において、わが国なりの行政管理会計が必要とされ、活用される時代が来るのではないでしょうか。
管理人1としては、遅かれ早かれ、いずれ「行政管理会計の時代」が来ると考えているところです。